Recruit Column

採用コラム
New graduate
2020.08.27

私の今に、胸を張って生きる。

姉と私。何でもできる姉は、小さい頃の自分の自慢だったけれど、いつしか姉と比べられることが苦しくなった。比べられないように、姉がやらないことを選ぶ。結果、中学時代はちょっとグレていた。塾に通わせてもらっていたけれど、親には塾に行ったと嘘をついてさぼる。嘘がバレても、テストの点数がよければ文句ないでしょ、という態度。「じゃあ、塾のお金、自分で働いて払ってみなよ」と言う母。高校に行く意味もよく分からなかったから「中卒で働こうかな」と言ってみると「ええけど、将来の選択肢がめちゃくちゃ狭まっても責任取れないよ」。

母のその一言にドキッとした。率直に言えば、ビビった。「将来の選択肢が狭まる」という言葉が、何にも考えてなかった自分の心に「何にもなさそうな自分の将来」をリアルに浮かび上がらせた。あかん。これまでの姉の逆張りしてイキってる自分もダサいし、何にも考えてない自分もダサい。高校行こう。

高校では国際問題を学んだ。そこで出会った「児童労働」という問題が、自分の心を揺さぶった。発展途上国の想像を超える貧困。教育も受けられずに、朝から晩まで働かされる子ども。将来の選択肢そのものが存在しない世界。自分は自分で選んで今この高校で学んでいると思っていたけれど、それは不自由なく生きていける状況を用意してくれた親のおかげ。苦しむ子どもたちに、選択肢が与えられるような仕事をしたいと決意して、将来は国際機関で児童労働の解決のために働くと決めた。

国際関係の学問に強い神戸大学を目指し、国際援助に先進的に取り組んでいるイギリスの大学院に進むと決めた。目標が定まれば、人は結構頑張れるもので、周囲の人が驚くほど、勉強に打ち込んだ。先生たちも高校入学時の私を知っているので、ほとんどの先生が「どうせ無理やろ」という感じで眺めていたけれど、私を応援してくれる先生もいた。学べば学ぶほど、もっと知りたいという欲求が沸いてくる。勉強の機会によって、視野が広がり、選択肢も拡がっていく。こんな経験を、将来自分の力で、たくさんの子どもに与えられるようになりたい。本気、夢中、没頭。遊び回っていた中学時代が嘘のように、毎日勉強に打ち込んで、私は神戸大学に合格した。

大学に入学してからも勉強を続け、大学1年生の前期にフィリピンに行く機会を得た。フィリピンには、日本人とフィリピン人のハーフの子どもが多くいる。自分が携わったのは、この子どもたちが日本国籍を取ることをサポートする仕事。日本国籍を取得できれば、日本人同様の権利が得られ、職業選択の選択肢も増える。また、日本国籍は渡航時ほとんどの国でビザが不要だったり、国際的な視点でもメリットがある。たくさんの書類を用意し、複雑な手続きを一つずつクリアしていく。1人の子どもの日本国籍取得にも、膨大な時間がかかる。問題解決のために横たわる、信じられないくらいの労力に呆然とした。また、申請を相談に来る母親の中には、子どものためを思って、というよりも自分が少しでも楽をしたい、という気持ちの人も、正直たくさんいた。フィリピンの暑い日差しを浴びながら、ぐらぐらと自分の心が揺らいだ。「自分がしたかったことって、こういうことだったのか」「果たして自分には、やりきれるだろうか」。3ヶ月のフィリピンでの仕事を経験して、日本に戻った自分は、目指すべき場所を見失った。

夢を失った自分は、何かに打ち込むこともなく、アルバイトをして、友達と遊んで、いわゆる「楽しい大学生活」を送った。ただ楽しい生活が続く毎日の中で、「何のために大学に来たんだっけな」と自分を憐れむような惨めな気持ちにもなった。何も考えない時間は、恐ろしいほどすぐに過ぎ去って、いつの間にか自分は3年生になっていた。就活。嫌やな。面倒くさい。やりたいことを見失っていた自分にとって、働くことは苦行でしかなかった。仕事なんて、つまらなそう。でも、あまりに自分は何も知らない。本当につまらないものなのか、とりあえず仕事ってどんなものか、知ってから判断しようと思って、インターンを探した。そこで出会ったのが、リッチメディアだった。

リッチメディアのインターンの説明会。
前で話す坂本さんの言葉が、自分の心に突き刺さった。
「人生は30,000日しかない。1日1日を本気でやりきったか」
説明会の会場で、自分ひとりになったような感覚だった。
高校時代の夢中だった自分。大学時代の何にも本気じゃない自分。
「夢を失った」なんて、嘘だ。
「意味があるのか」「果たしてこれは自分じゃないとできない仕事か」
という言い訳をして、ビビって、逃げた。
無知だった。覚悟がなかった。でもそれは誰でもない自分の責任。
「世界」とか「社会」とか「現実」とか、曖昧な何かが自分を邪魔したように振る舞ってきたけれど、結局自分を引き止めたのは、自分。「夢を失った」なんて悲劇のヒロインを気取って、何となく生きている自分は、30,000日のうち、何日を無駄に過ごしたのか。

「可能性を世界で最も開花させる」
というリッチメディアのミッションに共感した。誰かの可能性を阻む何かを取り払って、誰もが自由に自分の未来を選べるような世界をつくるために、私は働く。今度こそ、私は逃げない。インターンの説明会で出会っただけのリッチメディアだったけれど、他の会社を1社も受けずに入社した。ちょっと極端すぎるけど、まぁそれが自分だし。

インターンの最中に、上場延期。選考を辞退する学生もいた。入社してすぐに起きたインシデント。事業のピポットを余儀なくされるほどの事業危機。退職していく先輩や同期もいた。「リッチメディアって大丈夫か?」と聞こえてくる声。気にならなかったと言えば嘘になる。でも、リッチメディアのミッションは、どんな時も、1ミリもブレなかった。危機に直面しても、可能性を諦めない。楽な道を選ばずに、困難に正面から向き合う。私は、誰が何と言おうと、私がこの目で見た姿を、この耳で聞いた言葉を、この心で感じる熱を、信じる。選択に正解・不正解はない。選んだ道が正解になるように、リッチメディアで、可能性を世界で最も開花させてみせる。

入社して4年経ち、マネジャーという役割を任せてもらっているけれど、毎日自分の力不足を痛感する。どうすればもっとユーザーのために役立つ情報を届けられたのか、どうすればもっとクライアントの本質的な課題解決に貢献できたのか、どうすればもっとメンバーがフルスイングする打席を用意できたのか、どうずれば経営のメッセージをみんなに伝えられたのか。会社の中で何か新しい取り組みが始まる度に、私は手を挙げてしまう。そのせいで、人の3倍ぐらい失敗をして、結果、毎日力不足を痛感している。毎日反省しているけれど、悔いはない。この失敗を、この反省を、次の挑戦に必ず活かす。ビビって挑戦から逃げたり、逃げたことを何かのせいにしてしまったら、それは私の人生ではなくなってしまう。

私は私から逃げない。
私は胸を張って、私の人生を生きる。

熊埜谷 佳奈コンテンツスタジオ部マネージャー
2017年
神戸大学卒業後、2017年新卒でリッチメディアに入社。入社以来、営業企画・ディレクター・事業開発と様々な役割を経験して、自らの成長幅を広げてきた。最年少ミドルマネジャーの1人。