コラム

設立2年目ベンチャーを選び、最年少部長になったぼくが見たリアルと葛藤

2018-06-22

中 友秀

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中 友秀

こんにちは。リッチメディアの中 友秀(なか ともひで)です。

部長ブログ第一弾ということですが、部長の中では唯一リッチメディア新卒入社なので、新卒でベンチャーを選ぶとどんな人生になるのか、一例ではありますが、ぼくのキャリアを通じて何か感じてもらえたらうれしいなと思っています。

そしていつかいっしょに働く仲間に届けば!という淡ーい期待をもって書かせていただきます。

難しい仕事をたくさんしたい

ぼくは2010年に神戸大学に入学して、3年のときに起業家育成ゼミに入りました。

このゼミは、もともと神戸大学出身の起業家たちが、“もっと神大から起業家を生み出したい”、“もっと起業家の精神を広めたい”という構想からはじまり、興味がある学生が集められたゼミです。(当時の神戸大学の学生は起業することより、大手企業に行く方がマジョリティでした。)

ゼミの周りのメンバーには当時から明確にやりたいことがあって、今は全員起業しています。ぼく自身も世の中に何か残したいという気持ちはあったものの、『将来何がしたいのか』『人生かけてこの社会課題を解決したい』というのがなかったことが、当時コンプレックスでした。

探さないといけないなとは思っていたけど、ないものはないので考え方を変え、作り出すことにしました。そこで導き出した答えは、「紡ぐ」という人生のキーワード。今までの世代が生み出した経済・資産・技術・文化などを、今の世代で高めて、次の世代にバトンタッチする、「紡ぐ」ことだという使命を設定しました。

どう、なにを紡いでいくのか?と考えたときに、世の中に魂を込めて作ったプロダクトを紡いで死ぬ、という選択肢も考えました。ただ、プロダクトだと陳腐化していくなあと感じ、考え方とかあり方とかそういうDNAであれば残り続けるのではないかと思ったのです。そこで自分が作った会社組織を紡いで死んでいこうと思いました。

組織作り・経営をやっていくための力をつけるには、たくさんの難しい仕事が必要です。最も難しい仕事をしているのはトップ。トップの仕事に近づくには、目の前の仕事で成果を出し、事業を大きくする、そして作られるポストに付き、また新しい仕事で成果を出す。このサイクルを高速で回すことが手っ取り早いと思いました。

インターネット産業を選んだのも110%の成長率であれば、会社・事業を大きくしやすいという確率論からです。

目線の高さが器を作る

会社の選び方は「ステージ×ミッション」で決めました。

組織を作って事業を作っていくために、創業2・3年目の会社はプロセスを経験できる一番の近道であると考えました。正直、そのステージの会社であればいくらでも変わっていくだろうし、どこでもよかったです(笑)。何社か会社さんとご縁があり選んだのが、理念への共感があって、何より目標の高さが良かったリッチメディアです。

当時の「アイディアと情熱で夢をかなえる」という理念、「叶わない夢はないということを世の中に証明する」という坂本さん(代表)の思いは、実現イメージが持てないくらい壮大なもので、自分にとっては心地が良かった。当時すでに、坂本さんがアジアで戦略的に動いていることも聞けて、小さく収まることはないだろうという期待が持てました。

最初は仕事をなめていた

入社をしてはじめての配属は営業でした。最初の1か月は仕事をなめていて(苦笑)、仕事なんてやればできるだろうと思っていたので、苦戦しました。

当時のミッションは、新しいメディア“スキンケア大学”を販売することでした。出来立てのメディアを売るということで、今振り返っても商品価値としては説明が難しかったとは思うのですが、目指しているビジョンが正しかったと証明するのが営業なんだと当時のメンバーで意気込んでやっていました。まずはわからなくてもやる、とにかくたくさん仕事をすることをテーマにした一年でしたね。

寝る間も惜しんで取り組んでいましたが、それでもなかなか結果がついてこず、ネガティブな思いがチームに蔓延し、腐っていく経験も身をもってしました。どれだけ頑張っても目指すべき指標やアプローチ方法を明確に設計しなければチームは崩壊していくと感じたんです。

そのような中でひとつのブレイクスルーポイントが訪れます。1年目の12月に、坂本さんからナレッジマネジメントのプロジェクトリーダーを任されました。営業の上流から下流まで意識し、なんのプロセスが大事なのか考え、坂本さんの営業手法やチームが持っているノウハウをマニュアライズしていきました。それによっておもしろいようにチームの成績が上がり、成果が出ればチームも元気になりました。マネジメントの「PDCA」の部分を味合わさせてもらいました。

日本一のインターンシップをつくろう

2年目は1年目の結果を評価してもらって、人事に異動、新卒採用担当として日本一のインターンシップを作ろうというミッションを授かりました。これが2度目のブレイクスルーのポイントになったと思います。

今までの進め方との大きな違いは、社外の方、特にリンクアンドモチベーションの麻野(耕司)さん(※リッチメディア社外取締役)から、仕事の進め方・基準の高さを叩き込まれました。たくさんのメンバーにも協力してもらい、「国内人気インターンシップ第4位」という成果をあげ、ひとつの成功体験を得ることができました。

3年目には管理本部長を任せていただきましたが、社内での評価の高さと社外からの見られ方に対し、自分の能力のなさや、若いから評価されているのでは?という不安に襲われ、守りに入ってしまいました。キャリアとしてはなかだるみ期間になりましたが、きれいに仕事をするのが正しい道ではないと気付けました。バックオフィスにいた学びとしては、形にはできなかったものの成長企業における組織づくりというのはなんなのかを身をもって経験できたことだと思います。

経営者との守破「離」

2016年以降はプロフィットセンターに復帰。この時、営業グループマネージャーを担当し戦略としては「大手のクライアントへの鞍替え」を大方針に掲げました。ナショナルクライアントに目を向けて価値を見出すチーム作りはしましたが、結果として一番の勝因はメディアが伸びたことにつきます。この時は非常に運が良かったです。

当時は事業運営として何を工夫していたかいうと、経営者のやり方を真似て徹底的に実行していました。その後、一部のお医者様から医療情報についてのご指摘を多くいただくことになり(以下、インシデント)、今の営業チームはメディアの成長にひっぱられていたのだと気付くことができました。

メディアの再建が必要になったとき、会社としては2本目3本目の柱が必要だと、新規事業であるデジタルマーケティングにチャレンジさせてもらいました。我々がお客様にとって何の価値になるのか模索しながら、未来を信じながらやっていて面白かったです。メンバーとふたりで半年間やって、なんとかパワープレーで黒字化も達成することもできました。

そんな折に、坂本さん(社長)から「営業本部に戻ってもらえないか?」と依頼を受けることになりました。もともとは子会社にして戻るつもりはない覚悟でやっていましたが、インシデント発生から減速してしまった営業組織で、もともとの戦友たちが苦戦している状況をなんとかしなければいけないと思い、本体に戻ることにしました。

そして去年の7月から今が3度目のブレイクスルーだったと思っています。いい意味で坂本さん(代表)との距離をとれた時期であり、自分自身の考え方・エッセンス・思想を模索し、実行したことで力がついたと思っています。そういう環境を用意してもらったんだと思いました。

成功と失敗から生まれた“報いたい”という思い

これからについては、引き続き「紡ぐ」というテーマはぶらさずにいますが、ぼんやりと考えていることがあります。それは、リッチメディアで働くことで、好きで得意なことに熱中できて、その人のキャリアを作れる会社にしたい、労働市場からは引き抜きがいのある会社にしたい。全然引き抜かれたくはないんですけど(笑)その人の特性を生かしながら事業にも接続していければ、ということを強く思っています。

その思いが生まれたのは、めちゃくちゃ思いを込めて、メインで採用活動を行って入社したメンバーが多く退職したことです。反省としては、採用の過程で人に紐づけていた、そういう気持ちを救えていなかったこと。彼らにとってリッチメディアを選んでもらえて何を残してあげられたのか、人生かけてやっていくことや、自分の得意なことを身につけられたかというふがいなさがあります。

今までマネジメント業務は預かってきましたが、人を預かるという本当の意味での重さを理解しきれていませんでした。今の時代、ずっと同じ会社で働くことはないかもしれないけれど、その人が自分の人生の過程においてリッチメディアでどれだけ熱心に仕事ができたかどうかというのを思い返して、糧にしてほしいと強く思うようになりました。これからの生き方を証明として報いていきたいと思っています。