コラム

大手でくすぶっていた僕が賭けた自分の可能性とは ~ゼロ→イチへの挑戦~

2016-11-22

斉藤 剛

WRITER:

斉藤 剛

『リッチメディア・メンバーインタビュー』 事業開発・斉藤 剛

斎藤 剛

アイスホッケーで培ったマインド

-斉藤さんはアイスホッケーをしていたのですよね?

北海道の苫小牧出身で、3歳の頃からアイスホッケーをしていました。冬になると小学校の校庭に水を撒いてリンクにする、そんな田舎でしたので物心ついたときには身近なスポーツだったんですね。

特待生で高校に進学し、キャプテンを務めたインターハイは9連覇。大学では体育会に所属し、インカレで準優勝を。大学3年のときにはU22(22歳以下)の日本代表に選ばれてオーストリアで行われた学生オリンピック(ユニバーシアード大会)に参加しました。

寝ても覚めてもアイスホッケー漬けの毎日。勝利に到達するために、死に物狂いで自分のベストを尽くすチャレンジャー精神が培われました。チームとしての成果を出すためには個人の頑張りだけでは足りず、チーム全体で叱咤激励しながら苦楽を共にし、一つのゴールに向かって頑張る協調性も学びました。そして、プレーヤーやチームメイトだけでな
く、様々な方のサポートの上でプレイが出来ているのだということも。全ては信頼関係の上に成り立っているということを痛感しました。これは現在も僕の根底にある精神です。

このまま実業団に入るものだと思っていたのですが、大学3年のとき、僕にはどこからも声がかかりませんでした。そこから、卒業後の進路をアイスホッケーの道ではなく就職に変えたんです。

-リッチメディアに入る前は総合商社にいたのですよね?

豊田通商株式会社(以後 豊通)には大学卒業後に就職し、7年間働きました。仲間がオリンピックを目指すなら、僕は企業マンの日本代表となって海外で活躍しようと思ったんです。

主に担当していた仕事内容は、大手鉄鋼メーカーから鋼板を仕入れて加工しトヨタグループに供給する、鋼板の受給管理でした。

最初の4年間は国内担当、その後2年間をインドネシアで、最後の1年間は帰国して輸出担当をしていました。

インドネシアでは海外子会社のマネージャーを任され、裁量権が大きくやりがいもあったのですが、帰国後の輸出担当を始めた時に転職を考え始めました。

思考が錆びつく恐怖、僕にしかできない事を求めて

-なぜ転職を考えたのですか?

単純につまらなかったのです。

任されていた仕事は、「決まった事をいかに正確にやるか」が期待値として求められる仕事で、個人としての価値が出しづらい環境でした。

僕じゃなくてもできる仕事、オリジナリティが出せない、なにより淡々とした作業に思考が錆びつく感覚が怖くなりました。この先30年、会社の歯車となって、業務にも上司にも魅力を感じずこの仕事ができるのかと自問自答の日々でした。

今思えば考えることに飢えていたのかもしれません。転職はコンサル業界に、と確固たる想いがありました。

インプットから思考プロセス、そしてアウトプットまで、全てに独自性が求められる仕事をやりたかったのです。

また、ずっと「商社×鉄」という業界しか知らなかったので、幅広い業界を見たいな、という想いもありました。

実は豊通を辞めたあとに個人で半年間、サンフランシスコに語学留学したんですよ。

インドネシア駐在時、ネイティブな英語のヒアリングへのストレスを感じていた事と、外資のコンサルに転職したいと思っていたので。

それもあって「僕にしかできない」という環境と「外資」を求めてデロイトトーマツコンサルティング合同会社(以後 デロイト)に転職しました。

デロイトでは、オートセクターに配属されました。

クライアントは自動車業界で事業を行っている会社で、トヨタ、日産、ホンダを筆頭に、ホンダトレーディング、日産トレーディング、豊通などの自動車系商社、また自動車の部品メーカーなどがあり、そこに対してコンサルティングをしていました。

デロイトに在籍していた2年6ヶ月のうち、半分くらいがシンガポール、タイ、アメリカ海外常駐だったんですよ。

ゼロから創り上げて世の中に価値を提供する魅力に惹かれて

-順風満帆な恵まれた環境を捨てて、リッチメディアに参画した理由はなんですか?

きっかけは木林さん(リッチメディア取締役)です。

何の不満もなく働けていたのですが、僕には「自分で事業を起ち上げたい」という想いがありました。デロイトにいる環境に全く不満はないけれど、目的から逆算するとこのままここにいたのでは、ゼロからイチを創り出すノウハウやチャンスは得られないのではないか、と思っていました。

そんな矢先に、木林さんから声をかけてもらったんです。

元々、豊通でインドネシアに駐在していた時、木林さんも前職でインドネシアに駐在していました。日本人コミュニティで知り合い、僕たちは飲み仲間でした。《木林琢磨についてはこちらを参照

その木林さんが「リッチメディアの子会社で新規事業を立ち上げるから一緒にやらないか」と誘ってくれたのです。

リッチメディアがどういう会社かを調べ、会社の理念・行動指針に深く共感したので、転職を決意しました。

何より新規事業の立ち上げ、つまりゼロからイチを創ることにすごく魅力を感じたのです。生きた証を残したい、という気持ちが強かったので。

商社もコンサルも、「基本的に既存のビジネスをいかに拡張するか」を求められるのに対し、世の中に対して価値のあるものをゼロから創り上げてそれを提供することにチャレンジができる状況に、大変魅力を感じたんです。

価値提供のために挑戦を愉しむ組織へ

-リッチメディアの魅力、一緒に働きたい人とは?

経営陣と直でコミュニケーションが取れる距離の近さは魅力ですね。言いたいことを直接、社長をはじめとした経営陣に言えるし、言ったことへのフィードバックも直接経営陣から貰える、と言うのはリッチメディアの良いところだなと思います。自分で企画設計して成果にコミットすれば、裁量権がどんどん渡されるので社員のモチベーションも高いと感じます。

そして何より、新規事業に関われることです。ゼロからイチを生み出す作業は手探りで、正解がわかりません。欲しい結果が何と相関しているのか、パターンを見出すのが本当に大変な作業の毎日になります。

しかし世の中を良くすることに少しでも貢献できたとき、他では味わうことのできない達成感が得られると確信しています。それが、自分たちの手で新たな事業を創造する喜びだと思うんです。

リッチメディアが掲げる理念の通り、“可能性を世界で最も開花させる”ことができる環境がここにはあります。

ですから、一緒に働きたい人はずばり、チャレンジを好む人!ですね。チャレンジをしたい人、一緒に新たな価値を創っていきましょう!